Masuk「……いたっ」
学校からの帰り道、
肌の白さとスタイルだけはイギリス生まれの母から譲り受けていたが、イレイラはパッと見誰がどう見ても『日本人』といった姿をしていたので周囲からからかわれる事が多い。
姿と生まれや名前が一致していないというのは案外厄介だ。
日本文化が好きだという理由で留学し、純日本人だった父と結婚までした母からは英語を教えて貰う事無く育ち、ろくに英語を話す事が出来ないという事も問題に拍車をかけた。
こんな名前であり、ハーフである事を理由に『英語を教えてくれ』と周囲に請われては、ガッカリされる。話だけを聞いてハーフの長身美人を期待され、平均的な顔と一五七センチの身長や容姿を見てガッカリされる。背は低いのに顔は小さく八頭身のせいで、『だまし絵かよ』と言われた事もあった。
——そんな事を繰り返してきたせいか、彼女は人付き合いが少し……多分、すこーし苦手なまま成長してしまった。
「参ったなぁ、バイト行けるかな」
先週始めたばかりの、鳥カフェが併設された書店でのアルバイトのシフトを思うと溜息がこぼれる。『体調不良だから』と変わってくれそうな知り合いはまだいない。正直この先も出来るかどうかは怪しかったが、それは今は考えない事にした。
両親は去年揃って事故により他界していてもうおらず、一人っ子だったから家に帰っても誰も居ない。困った事があっても、頼れる相手はもう、親戚を含めて誰もいなかった。
十九才にして天涯孤独。
それでも寂しいとあまり感じなかったのは『人付き合いは苦手だ』という気持ちがあったからだろう。『親友』と呼べる存在は残念ながらいなかったが、学校での話し相手は困らない程度にはいた。両親の保険金もあったから金銭面での心配が無かったのも不安要素を消す一因だったかもしれない。
でも体調不良の時にだけは、どうしても寂しさを感じてしまうのを避けられない。辛くても、キツくても、全て自分でやらなければいけないから。
家にあるはずの薬の在庫を思い出しながら、『……まずは帰宅。薬飲んで、あとの事はそれから考えよう』と、一歩前へ進もうとした時、イレイラは周囲がオカシイ事に気が付いた。
周囲の空間が、グニャッと歪んで見えたのだ。
天気は悪くなかったはずなのに辺り一面に霧の様なものが立ち込め始めた。周囲から車の音や人の話し声が消え、代わりに内容の聴き取れない不思議な声が微かに聞こえる。
聞き覚えのあるような、無いような…… 妙な既視感が気持ち悪い。
彼女は慌てて周囲を見渡したが、何が起きているのかサッパリわからなかった。
理解の出来ない異変を前にして背中にゾッと悪寒が走る。冷や汗が額から流れ、ズキッと頭の痛みが増した。
「くっ……!」
痛みから声がもれ、頭を抱えると、イレイラはその場に蹲った。だがその体勢でいるのも辛い。頭の中はもう『痛い!』という言葉で一杯になった。
——気が遠のくのがわかるが、どうにも出来ない。
歩道の真ん中で倒れるわけにはいかないと一瞬頭によぎったが、直ぐに消えた。
『あー、こんな所で私死ぬのか。……でも、しがみつきたくなる程のものも無い……や——』と思った瞬間、不安だった心はスッと消えて、イレイラは意識から手を離した。
フッと意識が戻るのを感じる。瞼が重くてまだ開くには億劫だったが、自分がベッドの上にいる事はわかった。なので、此処は病院なのかもしれない。 道路の真ん中で倒れた事をすぐに思い出す。きっと親切で救急車を呼んでくれた人がいて、ここに搬送されたのだろう。死んでいなかった事実に対しての安堵と、残念だなという相反する感情が心にわき、目元が険しく歪んだ。——その瞬間、眉間のシワをゆるゆると指で撫でられた。「ねぇ、どんな夢を見てる?険しい顔してるけど」 優しい声色の低い声が耳を擽る。『誰の声だろう?』と、私は不思議に思った。(通報してくれた人が付き添ってくれているのだろうか?だとしたら、きちんとお礼を言わなければ失礼だ) ゆっくりと重い瞼を開き、声のした方に顔を向ける。部屋の様子が薄っすらと目に入るが、予想と全然違うからか、見慣れないせいか、何故か頭が上手く処理出来ない。でも、ベッド脇に腰掛けて私を見下ろす男性の姿はなんとなく認識出来た。(……助けてくれた人、かな?) 座ってはいても分かる程大きな身体が視界を埋める。白いシャツに黒いトラウザーズを穿き、胸元のボタンを数個開けたラフな格好をした男性が、とても嬉しそうな顔で私を見ている。 黒くてサラサラとした髪は首の辺りまでと男性にしては少し長い。瞳は黒曜石かと思う程美しく煌めき、自分と同じ色だとはとても思えなかった。白い肌が透ける様に美しく、整った顔立ちは物語の主人公かと思う程だ。『あ、これ夢だ』と反射的に考えても無理は無いくらい、目の前の存在はこの世の者ではなかった。 頭から生える羊みたいな両角がより一層、『これは現実ではない』と告げている気がした。(どうしたら目が覚めるんだろう?) 目を開ければ、夢から醒めるものじゃないんだろうか? 虚ろな瞳のまま、現実味の無い相手を見続けていると、整った顔にフッと笑みが浮かんだ。「寝ぼけてるのかい?相変わらず可愛い、黒い瞳をしてるね。まだ眠い?もっと眠っていてもいいんだよ。僕のイレイラ……」 随分と、愛おしさの篭った声色だ。私の頭を撫でる手はとても優しく温かい。自然と目を閉じて、されるがままになってしまう。 一瞬この感触を知ってる様な気がしたが、そんな訳がないと心の中で頭を横に振った。 頭を撫でていた彼の手が私の耳に触れる。形を確かめる様にゆるゆるとさわられる
カイルは消えた魔法陣の中心を凝視し、モヤが完全に消えるまで立ち尽くしていた。 術は成功した。確信がある。“神子”である自分があれだけ慎重に慎重を重ねておこなったのだ、失敗するはずがない。 ——なのに、だ。 とても小さな、簡単に抱き上げることの出来る“彼女”を呼んだはずなのに、予定よりも随分と大きな塊が部屋の中央に転がっている様に見える。どう見ても、目を擦ったり、瞬きをしてみても、身体を丸めて倒れる物体は気を失った“人間”だった。 何度瞼を閉じて頭を振り、塊を見返してもその事実は変わらない。「……まずは、確認しよう」 カイルは呟き、塊の側へ行って膝をつき、そして床に倒れている人間を仰向けにして彼が顔を覗き込んだ。低めの鼻筋に小さく薄い唇。シンプルだが、文句無く可愛い顔を前にして、カイルの口元が少し緩んだ。 身体を軽く揺すっても、意識が戻る気配は無い。 腰までの長いストレートの黒髪が青白い頰にかかっている。その髪をカイルは、彼女の頰を撫でながら除けると、スッと目を細めた。 心がざわつくのを感じる。 少しの間すらも離れ難く、逢いたくて仕方がなかった“彼女”への気持ちが、目の前の存在に向かっていく感覚がカイルを襲い、心臓が徐々に強く脈を打ち始める。(……あぁ、この女性は『イレイラ』だ。間違いない) そうは思ったが、何か確信が欲しかった。想い描いていた姿と大幅に違ったから、気持ちでは『呼び出した相手に相違無い』とはわかっていても、頭では理解出来なかった。 カイルが召喚しようとした『イレイラ』という存在は、“黒猫”だったからだ。 “黒猫”の“イレイラ”。少し前に寿命で亡くなったイレイラの生まれ変わりを探す為、カイルは先程召喚魔法を使ったのだった。 二度、三度と深呼吸をする。そしてカイルは目の前の女性に手を伸ばすと、着ている服を少し裂き、左胸側をゆっくりと捲った。ふっくらとした膨らみが目に入り、呼吸が少し乱れる。「……っ。お、大きいな。背は低いのに……」 無意識のまま本音を呟き、カイルは唾を飲み込んだ。透ける様な白い肌が徐々に視界を占有していく。胸先の尖りまでもが見えそうになったギリギリの辺りで、服を除ける動作がピタっと止まった。「……あった!イレイラだ、やっぱり。間違いない!」 大声で叫び、カイルは両の手をグッと握り、天を仰いで喜んだ。
「……いたっ」 学校からの帰り道、桜塚イレイラは頭を軽く抑えた。小さな花柄が入った膝丈のスカートが風も無いのに不意に舞い、それを押さえながら足を止める。日本人離れした名を持つクセに、黒髪に黒目をした彼女は突然襲ってきた痛みを散らす様に頭を軽く降った。 肌の白さとスタイルだけはイギリス生まれの母から譲り受けていたが、イレイラはパッと見誰がどう見ても『日本人』といった姿をしていたので周囲からからかわれる事が多い。 姿と生まれや名前が一致していないというのは案外厄介だ。 日本文化が好きだという理由で留学し、純日本人だった父と結婚までした母からは英語を教えて貰う事無く育ち、ろくに英語を話す事が出来ないという事も問題に拍車をかけた。 こんな名前であり、ハーフである事を理由に『英語を教えてくれ』と周囲に請われては、ガッカリされる。話だけを聞いてハーフの長身美人を期待され、平均的な顔と一五七センチの身長や容姿を見てガッカリされる。背は低いのに顔は小さく八頭身のせいで、『だまし絵かよ』と言われた事もあった。 ——そんな事を繰り返してきたせいか、彼女は人付き合いが少し……多分、すこーし苦手なまま成長してしまった。「参ったなぁ、バイト行けるかな」 先週始めたばかりの、鳥カフェが併設された書店でのアルバイトのシフトを思うと溜息がこぼれる。『体調不良だから』と変わってくれそうな知り合いはまだいない。正直この先も出来るかどうかは怪しかったが、それは今は考えない事にした。 両親は去年揃って事故により他界していてもうおらず、一人っ子だったから家に帰っても誰も居ない。困った事があっても、頼れる相手はもう、親戚を含めて誰もいなかった。 十九才にして天涯孤独。 それでも寂しいとあまり感じなかったのは『人付き合いは苦手だ』という気持ちがあったからだろう。『親友』と呼べる存在は残念ながらいなかったが、学校での話し相手は困らない程度にはいた。両親の保険金もあったから金銭面での心配が無かったのも不安要素を消す一因だったかもしれない。 でも体調不良の時にだけは、どうしても寂しさを感じてしまうのを避けられない。辛くても、キツくても、全て自分でやらなければいけないから。 家にあるはずの薬の在庫を思い出しながら、『……まずは帰宅。薬飲んで、あとの事はそれから考えよう』と、一
『輪廻の輪』 遊び好きの神々が戯れに作った箱庭の様なこの世界に住まう人々は、その箱庭の中で転生を繰り返す運命に囚われている。『囚われている』とは言っても、彼等にはその自覚はなく、広過ぎるとも言える恵豊かな世界の中で生まれ変わりを繰り返している事実を不幸だと感じる事も無かった。たまに前世の記憶を持った子供が生まれ、『転生』というものが確かに存在しているんだなと認識している程度のものだ。 その輪廻の輪から外れた存在が、一握りいる。 ごく稀に、箱庭を作りし神が人間を愛し、子をなす事があった。その間に生まれた子供、神子と呼ばれる彼等は輪廻の輪に囚われる事が無く、二十歳程度の外見まで成長してからは歳もとらず、死する事なく、神々の様に永遠に生き続けるらしい。 その神子のうちが一人。『カイル』と名付けられた男は、内から溢れ出る嬉しさと期待を隠す事なく、整った顔をニヤニヤと崩しながら薄暗いホールの中で床に這いつくばって、手にした白いチョークを使ってガリガリと文字や図形を綴っている。 父神から譲り受けた羊の様な大きな巻き角に、首にかかる長さのサラッとした黒髪が触れる。黒曜石にも似た瞳は隠しきれない嬉しさに溢れ、目元が少し赤みを帯びているのは、これから起こる事への期待によるものだった。「……よし、出来た!なかなかの仕上がりなんじゃないか?久しぶりにしては」 満足気に頷き、一人呟く。 間違えない様にと時間をたっぷりかけて描いた魔法陣を眺めながら、カイルは笑みを浮かべた。 神々が今よりもこの世界に干渉していた時代に書かれた古代魔術の本に載っていた魔法陣に、二十日かけて組んだオリジナルの術式を織り交ぜた円形のそれは、手描きとは思えない仕上がりで大理石の床を美しく飾っている。 五十人程度を簡単に受け入れられそうな広さをしたこの部屋の中はとても簡素で、窓が少ない為、昼間でも薄暗い。休憩用にと用意してある二人掛けのソファーと小さなサイドテーブルが隅の方にある以外には何も置いていない。此処はカイルが室内で魔法を使う時の為に用意された部屋なので、装飾や家具の類はかえって邪魔だったからだ。ドーム型をした天井は三階分を吹き抜けてあるのでとても高く、多少失敗したとしても部屋を破壊する事の少ない造りになっている。もちろん部屋全体に防護魔法を掛けてあるので破壊してしまう心配は無いの